雲中の白馬 県大町庁舎 ’17.11         初冬の常念岳         初冬の後立山 葛温泉かじか (田中撮影)

風に吹かれて( H29年12月号 : 不安で流動的な国際情勢)

 

  師走・12月の声を聞くと、なにかと慌ただしい気持ちになってきます。

天候不順が続きましたが、11月に入って落着きを取り戻し、あづみ野に通う「あずさ」からは、山岳展望と暖かい車内の一献が楽しめる季節になりました。  

 

さて、12月号は、最近の国際ニュ-スへの感想などです。(H291128記)

 

・社会主義強国の建設へ

強勢大国」(北朝鮮)、“Make America great again”(アメリカ)に続いて、共産党大会を経た中国では「社会主義強国」の建設と来て、なにやら一昔前の「千年帝国」(ナチス・ドイツ)や「大東亜共栄圏」(日本)を彷彿とさせる

 

“猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらふに、秦の趙高、…これらは皆旧主、先帝の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れむ事をも悟らずして、民間の憂ふる所を知らざりしかば、久しからずして亡じにし者どもなり”(平家物語 祇園精舎)

 

 

● バルフォア宣言100年 「誇りか謝罪か」

 

 イギリス「三枚舌外交」の一つであるバルフォア宣言から100年が経過した。

 

これについての読売と産経の報道ぶりの違いには興味深いものがある。(11/4

 

読売は、見出しで、「ユダヤ人国家支持・100年前の謝罪要求」とし、記事では、<パレスチナ自治政府は、「この宣言によって、われわれは大きな犠牲を払ってきた。英国に謝罪と犠牲者への補償を求める」との声明を出した>と報じて、イスラエル側の会見も伝えたが、イギリスの反応は書いていない。

 

 産経は、見出しでは、「英国のユダヤ人国家支持 メイ首相<誇らしい>」とし、<イスラエル建国に英国が演じた役割を「誇らしいと思う」と述べた>である。

 

 

 

 歴史は、イギリスが、①フサイン・マクマホン書簡(アラブの独立を約束)、②サイクス・ピコ密約(英仏露の3国で地域分割)、③バルフォア宣言(ユダヤ国家の建設約束)の三枚舌を使ったと評価するが、英国政府は受け入れない。

 

● カタルーニャの首相、「ベルギーに」 避難

  スペイン東部「カタル-ニャ自治州」が<共和国として独立宣言>をし、中央政府は、<自治権停止、反逆罪の適用とEU逮捕状の送付>で応酬した。自国周辺への波及を恐れる国際社会の反応は鈍く、事態は予断を許さない。

  

手許の「世界史年表」を見ると、<バルセロナを抱き豊かな産業の地であるカタル-ニャ(カタロニア)>とスペインは、歴史的に敵対関係の因縁を持つ。

 

①1714年、カタル-ニャは、スペイン軍の「バルセロナ包囲戦」に敗れて、公国としての地位を     失ったが、その後も、しばしば内乱・暴動が起きている。

②1919年、自治を計画する大集会が失敗に終わる。

1934年、共産主義者・労働者の暴動とカタロニアの独立企図が失敗する。

④1936年、人民戦線とフランコ派の闘争が始まる。(スペイン内戦へ)

⑤1937年、バルセロナは共和国派の砦となるが、敗れ、カタル-ニャ語も禁止。

  「独立企図」といっても、<スペイン連邦内のカタル-ニャ国になる>ことだったのであるが、フランコ政権は許さず、指導者たちはフランスに逃げる。フランスは、引渡し要求に応じなかったが、ナチスドイツに敗れるに至って、ビシ-政権は指導者たちをフランコに引き渡し、彼らは処刑されてしまう。

 

  いま生じている独立問題は1934年と似ている。カタル-ニャのプチデモン首相が逃亡先にベルギ-を選んだ背景は、①フランスを信用していない、② ベルギーのオランダ系住民に独立志向があり、支持もある、③アメリカなどへの亡命もしやすい地の利にあるからだと見ているのだが、さて、ベルギー政府は、どう出るのだろうか。

 

 

● 「戦争と農業」 (インタ-ナショナル新書)を読んで

 

藤原辰史は、「第一次世界大戦と第二次大戦と冷戦期、人が餓え、殺された時代の歴史の研究者」(当人の弁)で、その視点はこの著作にも貫徹されている。

 

 

 

表紙裏の見返し部分には、“農作業を効率的にしたい。その思いが20世紀の農業技術を飛躍的に発展させ、同時に、その技術が戦争の在り方をも変えた。

 

トラクタ-(のキャタピラー)は戦車に、化学肥料(の窒素固定)は火薬になった。

 

逆に、毒ガスは平和利用の名のもと、(殺虫剤など)の農業に転用される。

 

本来人間の食を豊かにするはずのテクノロジ-発展が現実には人々の争いを加速させ、飽食と飢餓が共存する世界をつくった。この不条理な状況を変えるために、わたしたちができることを考える”と著者の考えが述べられている。

 

 

 

個人的に興味を引いたポイントを、以下に、虫食いで要約してみた。

 

(1)20世紀の人口増加を支えた4つの技術:農業機械(トラクタ- →戦車)、

 

化学肥料(→ 火薬)、農薬(← 毒ガス)、④品種改良(→ 遺伝子組み換え)

 

(2)空中窒素固定の工業化(←硝石、海鳥の糞化石)が戦争の引き金になった。

 

アホウドリの狩猟(羽毛の採取・輸出)とその地にある糞やリンを利用することも、日米の利害衝突の一つで、その場所が、あのミッドウエイだった。

 

(3)現代の兵糧攻めと食料の強制調達:第一次世界大戦期に、空襲よりも人々を苦しめた攻撃方法が「経済封鎖」「食料攻め」だった。

 

…イギリスによる対ドイツ海上経済封鎖(ドイツに76万人の餓死者と「1918年ドイツ革命」をもたらす)、第二次世界大戦での独・ソ談合のポ-ランド封鎖・食料徴発、1941年のレニングラ-ド封鎖(飢餓計画)による700万人の餓死、兵站を無視の日本軍では、戦死者の半数は餓死であった。

 

(4)幸福追求権」については、子どもの貧困問題と関連させ、幸福追求の中心には、食べ物を据えるべきで、食べて考える、考えて生きる、そのために食事らしい食事の機会・場所(居場所)が与えられなけばならない。

 

(5)キンダ-ガルテン」(幼稚園)とは、「子どもの庭」で子どもたちが育つたところ、花や木だけでなく野菜、麦、果樹など「食べものが育つ庭」でもある。

 

 

 

 藤原の結論は、①企業の害へ異議申立、②有機農業を市場価値でない新しい仕組みの要として再構築、③種子の選択、④食べる場所の再設定になろうか。

 

 

この著者は、他にも「カブラの冬」「稲の大東亜共栄圏」「ナチスのキッチン」が面白い。

 

カラマツと白樺(穂高ビューH)       名残りの柿        '17.10 北の丸 カラタチの実   

風に吹かれて( H29年11月号 :つれづれに思ふ)

 あづみ野は、めっきり寒くなりました。常念山脈の山肌が薄化粧をし、遠く、後立山連峰は、もう真っ白です。野沢菜にとって、霜が降りるこれからが大事、近所の畑には、追肥を施す農家の方々の姿も見えます。やがて、雪しぐれと凍りつくような日々、冬の寒さがやって来ることでしょう。

11月末を目指して店じまいの準備に入りましたが、まずは、花や実をつけてくれた草木への「お礼肥」、来年を楽しみにカサブランカ(球根)の植え付け、そして、小豆(在来種)、柿の収穫から始めています。(10/27

 

 さて、11月号では、このところ見聞きした事象の断片への感想を記しました。

 

    線香花火の東西

線香花火の誕生は1600年ごろ、戦国時代に鉄砲とともに伝来した黒色火薬が戦国時代の終了により、「平和利用」されるようになったという。(9/5読売)

初めのころは、わらしべの先に火薬を詰めて香炉や火鉢に「線香のように」立てて燃やしたらしく、これが「線香花火」の由来である。関東は紙製が普通であるが、関西では、いまでも「わらしべ」が4割ぐらいを占めるとあって、まるで、「おでん」と「関東炊き」のような違い方が楽しい記事だった。

● 「鏡割り」と鏡開き

ある日のNHKラジオのニュ-スで、「高安の大関昇進祝いが港区内のホテルで開催され、…鏡開きが行われた」と放送された。はて鏡開きは鏡餅の方で酒樽は鏡割りではないかと一瞬、違和感を覚える。しかし、ウイキペデイアによれば、どうやら、酒も餅も両者は同じ語源らしい。

 武家では、供えておいた鏡餅を新年の吉日に食するが、餅を<切る>では、切腹につながり縁起が悪い。<割る>も同様なので、そこで、これらを避けて、<開く>に落ち着いたとあり、ここまでは、餅に関する語源の解説だ。

 

一方、酒屋では、酒樽の上蓋を「鏡」というから、<鏡を割る>も具合が悪い。上蓋の開封は<鏡抜き>が正式だとあって、たぶん、類語の混同なのであろう。

● コラソン・デ・メロン(メロンの心)

 これまた、NHKの「ラジオ深夜便」からである。2時ごろからは、「懐かしの歌」<海外編>が流れる。9月15日には、1950年代の歌が放送された。「つぎは、ロ-ズマリ-・クル-ニ-の“メロンの心”をお送りします」。そう、日本では、森山加代子が歌ってヒットした曲、原題は“コラソン・デ・メロン”である。

 自らの話になるが、長らく<メロン>とは、マスクメロンかプリンスメロン、あるいはハネデユ-メロンと思い込んでいたのだが、あらためて聞いてみると、・・・Your heart is water-melon・・・sweet and・・・ときて、実は「スイカ」だった。思い込みとはこんなもの、いまでは、スイカも高く、メロンと並ぶ高級品だ。

    間の抜けた話 パート 2 

 佐渡(相川)の博物館で、金塊の「レプリカ」が盗難にあったと報じられた。時価は高々50,000円だとか、割に合わない仕事だ。おまけに、捕まった犯人の2人、ほかの異なる窃盗で手にした現金1000万円も車中から発見されてしまうというドジを踏むアホぶりで、とんだ笑いものになっている。

(同じ島内の西三川ゴ-ルドパ-クでもショ-ケ-スが壊される事件があったので、警察に目を付けられていたのかも知れない。ただし、こちらも、夜間は、800万円する本物は別の場所に厳重に保管していたと答えていた)

 

 美術展の展示品だって、パ-テイ-で身につける高級装飾品だって、本物は自宅金庫にあるぞという代役=レプリカを飾るのが一般常識なのだが・・・。

    夜間・休日の議会

 これも長野県の話題である。「議員のなり手に悩む喬木村が、夜や休日に議会を開く方針を決めた。会社勤めの人も議員になれるようにという発案である」と報じられた(9/17読売)これはもっともなことである。北欧などでは普通のこと、日本でも、東京での全国団体の仕事が重複してやむを得ない場合、地元自治体の議会は休日に開いていたという例があると聞く。

(H29.10.31記)

      黄金の姨捨棚田  (9月)             小豆に花                       17.9.13  小豆の生育状況            小豆の収穫

風に吹かれて( H29年10月号 :見たり、聞いたり、読んだり)

 

  あづみ野の庭の一隅に植えた在来種の小豆が実をつけています。小粒で色は黒く、皮も固くて調理には厄介ですが、栽培は容易で丈夫なようです。北安曇地域特有の品種らしく、霜が降りるまで実が成り続けると聞きました。朝早く、やさしい色の花が咲きます。一鞘に10粒ぐらいですが、この秋は、種子を採取するにとどめて、来年の元手にし、もっと手広くつくろうかと考えています。

 

 

 

さて、「読書の秋」になりました。近ごろ、見たり、聞いたり、読んだりしたなかから、印象深かった本のポイントなどを書きとどめることにします。

 

● “コンテインジェンシ-・プラン” (contingencyplan)

 

 小池都知事も愛読したという「失敗の本質」(野中郁次郎ほか・中公文庫)に登場する言葉で、組織体が機能的・効果的に稼働するには、たとえ偶然であれいかなる危機にも即応できるシステムが準備されていなければならないという。この観点からすれば、9月10日の「小田急沿線火災・列車への類焼」の場合、プランはどこにも見当たらず、消防、警察、列車の対応には大いに疑問が残る。

 

(消防の要請を受けた)警察が踏切の「緊急停止ボタン」を押したために、列車は火災現場に強制的に停止させられて、屋根への飛火・延焼を招いた。ステンレスやアルミの車体は熱伝導がよいから、車内はすぐに熱くなる。もし、乗客が非常コックを開き、火災現場の近くへ脱出していたなら死傷者の発生は免れなかっただろう。<車体は不燃構造、屋根表面は可燃性の絶縁体>という状況で外部からの火災への唯一の対応方向は、消防が叫んだ「列車を止めろ!」ではなく、 「すぐに現場から離れろ!」 だった。停止場所も考えずに「緊急停止ボタン」を押した警察の行動も、やりとりを続けて時間を浪費し、緊急・強制停止の解除を遅らせた司令室の対応も、ともに危機管理としては拙劣である。 繰り返すが、<列車は止めず><乗客は降ろさず><現場からまず離れる>、現場を知らない指令室に対しては、運転手も「このままでは被災する、直ちに離脱させろ!」と訴えれば、約10分もかけず、30秒~1分で片づくことだった。 列車運転が<手動>、危機対応も<運転手・車掌に委ねられていた>時代は、危機管理意識が厳しかった。船舶や航空機の場合には、船長、機長に絶大なる権限が委ねられている。「コンテインジェンシ-プラン」の整備について、強く警鐘を鳴らしたい。自動化が進み過ぎ、人間の判断・行動を認めない対応では、重大事故が懸念される。国交省の「法律上は定められていない」はピンボケだ。

 

(注1)「失敗の本質」によれば、太平洋戦争の分かれ目となった「ミッドウエイ作戦」で、日本海軍が実戦の場で取るべきだった行動は、米航空艦隊発見→基地攻撃爆弾から魚雷へ装備変更でなく、①米爆撃機からの攻撃回避のため直ちに発艦、②既装の爆弾で米空母を襲撃、③米航空母艦上に火災を起こし、米航空機の着艦を不可能にすることであった。臨機応変、危機・緊急対応、マイナスを極小化し、プラスの歩留まりを高める対応)自らが遭遇するであろう災難を想像することができず、米航空母艦の撃沈のみにとらわれ、虎の子の連合艦隊を失なってしまったのである。

(注2)平成27年9月号で取り上げた「中央線・湯ノ花トンネル銃撃事件」で、列車運転手は米軍艦載機の列車銃撃に対 し、多数の死傷者は出したものの、列車を停止させることなく、必死で 近くのトンネルへと逃げ込み、多くの人命 の救 出に努力し ている。

 

●安曇野」と柳田國男

 

 臼井吉見の「安曇野」を再読して、柳田國男に関する印象的な記述に出会った。第5巻その21において、柳田は、著者を通して、まず、つぎのようにいう。

(1)  過去の日本の捨つべきものを愛惜し、確乎守るべきものを捨て去ることがあってはならない。

(2)  さらに、続けて、「昔風と当世風」と称し、

  老人などがしきりに愛惜する昔風は、彼ら自身の当世風にすぎない。全体として、近代の当世風          の 中には愚劣なものが多く、これを後生大事に守って、変革を敵視する保守派などは、嘲笑以外の何物でもない。

(3)  帯などという大げさなものを腰にまとい、奥様が帯をしているのやら、帯が奥様をしているのやら見分けもつかぬ格好をして歩いている。こんなのは、ほんの一時の心得違いによるものだ。

 

 (注)昭和40年ごろ、東京教育大学の日本史の講義で、家永三郎先生も、「胸高の帯は、古代、中世にはなかった」と 述べていた記憶があるが、「封建時代になり、女性の行動を縛るものとして胸高に変わっていった」という続け方をした。こちらの方はどうだろうか。

 

(4) 日本人魂と日本人の座り方とは深い関係がある、畳というものがなかったなら、日本人の勇気は今日ほど修練されなかっただろうという説は滑稽である。日本人がぺちゃんこの座り方を始めたのは、3~400年前より古くはなく、畳を敷き詰めたのはほんの近世からのことだ。

 戦争中にもかかわらず、教育勅語に対して、「これは一部の武家の規範であり、ほかの多くの階層のものには役立たない」と批判めいたことを述べ警察に目を付けられたことも引用されている。改革派としての柳田の側面を見て印象深い。 

●「江戸東京の聖地を歩く」

岡本亮輔著(ちくま新書)だが、傑作の部類である。歴史の短い江戸東京において、いわゆる「聖地」がどのようにして形成されていったかを、具体的な場所ごとに記している。神社仏閣が中心であるが、どうして流行ったか、誰が・どのように流行らせたか、流行っていたが廃れてまた流行るキッカケは何か、近ごろに生まれた聖地のいわれなどが分類・整理されている。フィクションもよし、神話・伝説もよし、要は「物語」から始まるのである。

 

 著者は、「近世以来、江戸東京には無数の人が暮らし、数々の社会的・文化的・政治的・経済的な出来事が生じた。政権交代、急激な経済成長、悲劇の大量死、無残な虐殺もあった。こうした出来事は起こるたびある場所に何らかの物語が紐づけられ、それが共有されることで聖地が生み出され、それが急速に広まり、忘れられる」と総括する。代表的な、楽しそうなものをランダムに挙げよう。

 

将門塚=首塚 京で打ち首にされ晒された平将門の首が、切り離された体を求めて東国に舞い戻ったという。(無念の死を遂げた)変死者は凶霊になるとされ、それを鎮めるのに用いられたのが「支解分葬」=死体をいくつかに切り離し、異なる場所に埋めて凶霊の発生拡散を防ぐこと、各地に見られる。左遷や出向からの復帰を願うなどの物語も生まれた。

広瀬中佐像(軍神の聖遺物) 日露戦争の旅順閉塞作戦で、杉野上等兵曹を探し求めて戦死し軍神となった広瀬中佐の像が万世橋に建設されて、遺品とされるものも靖国神社の遊就館に並べられる。中佐のもの、ゆかりのものという品物が次々に発見、陳列されるが、これはキリスト教の聖遺品と同じである。太平洋戦争後には取り壊されて、40年だけの聖地に終わった。

回向院 両国にあるが、明暦の大火で建立され、宗派色はない。安政大地震、関東大震災の死者も祀られ、首都であるが故の大量死の鎮魂をも引き受けてきた。これに対し、小塚原回向院(南千住)は、刑死した者の弔いである。

於竹(おたけ)大日如来井戸跡(聖女) 江戸初期、人間離れした倫理性のために流行神になった女性がいる。大伝馬町の名主の下女「お竹」だが、信心深く、慈悲深く、与えられた食事や給金はことごとく施してしまって、(栄養失調で)倒れ臨死体験をする。夢で阿弥陀様の姿を見て救われる。信心はますます深まって、これに目をつけた出羽の羽黒山の山伏たちが「大日如来縁起」を作って宣伝し、「聖女」への信仰として導いた。 

鼠小僧の墓(両国回向院) 「義賊」とされているが、戯作者:河竹黙阿弥の「鼠小紋東君新形」による想像の産物で、実態はふざけた野郎だったらしい。数千両を盗んだといわれるが、捕まったときには、放蕩、ばくちで無一文。そのために、<貧しい人々に恵んだからだ>との話になった。武家屋敷のしかも女性便所から忍び入り、眺めを楽しんだ挙げ句、金は女性から奪った。武家が狙われたので人気を集めたのだと「歴史家の磯田先生」が解説する。 ギャンブルには御利益があるとされ、いまでも墓石を削る人々で賑わう。

最近の聖地 美男剣士の「沖田総司」終焉の地と称して恋愛の聖地になった「浅草の今戸神社」、パワ-スポット化した「明治神宮の清正井」、長編アニメ「君の名は」に登場する階段で聖地になった「四谷須賀神社」etc.

 

 

● 「あて字の日本語史」

 

田島優(風媒社刊)の名著であるが、2200円とやや高額なのが気になる。

 

<糸惜><口惜><無・甲斐><無・墓><六借><浅猿><四度計無>などあて字の連発である。それぞれ、いとおし、くちおし、かいなし、はかなし、むつかし、あさまし(ら)、しどけなし、といった具合である。

 

 

 

 さらに、漢字の意味内容と「読み」を工夫した例では、饗応(フルマイ)、骸骨(アバラボネ)、喧嘩(カマビスシ)と続き、ポルトガルからの外来語では、「音」により、または「訓」(意味)に「音」を乗せて、いまでも使われる。<合羽>(カッパ)、<更紗>(サラサ)、<羅紗>(ラシャ)、<襦袢>(ジュバン)、<金平糖>(コンペイトウ)、<加留多>(カルタ)、<煙草>(タバコ)などがそうだ。

 

こうしたあて字は、はるか古事記、日本書紀の時代から延々、「音を借用」し、「音+意味の合作」として活用され・進化し、現在も続くのである。

 

               (H29928記)

 

           新そばも近い   (2015)                 穂高神社お船祭 平賀源内(2014)         浦安の舞 矢原神明宮(2015)       あばれ御輿 宮田村 2017 (信濃毎日)

風に吹かれて( H29年9月号 : あづみ野の夏日記)

   この夏は、あれやこれやで30日間ほどをあづみ野で過ごしました。821日からは小中学校の新学期も始まって、近くの田んぼでは、稲穂も垂れ下がってきましたが、天候不順が続きましたから、この秋の収穫がとても気になります。

  9月号では、これまでの「見聞・行事・風物詩」をランダムに書き記しました。 

● 「松本ナンバー」 に要注意

    ここに暮らすようになってすぐ地元の人にいわれたのは、「松本ナンバ-は運転が乱暴だから気をつけるように」であった。なかでも実感しているのは、右左折や直進の優先順位を守らない、速度制限の表示は無視するの2点だ。交差点向かい側の先頭に直進車や左折車がいても早い者勝ち、どんどん右折してくる。また、法定速度の10kmオ-バ-程度で走っていても、前方に空きありと見るや、「はみ出し禁止車線」の表示は無きがごとしで追い越していく。

 当方の品川ナンバ-への威嚇なのかもしれないが、地元も認めるくらいで、それが一般的、気が短い人が多い地域と見えて、事故には「要注意」である。

 

● あづみ野の花火は 「田んぼ前の特別席」から

   当地の8月は、花火大会のオンパレ-ドである。8月13日の松川村・池田町(3000発)、8月14日の安曇野市(10000発超)、そして、15日の終戦記念日は、大町市の木崎湖の「灯籠流し&花火大会」が湖面に映える。諏訪湖の大花火大会には負けるものの、「安曇野花火」もなかなかのものだ。自宅2階の窓から見ることもできるが、風もあり涼しかったので、田んぼ前の農道に椅子を持参し、蚊取線香を焚き、長袖・長ズボンの完全武装でじっくり1時間半、「光と音のペ-ジェント」を楽しんだ。自宅から3.4km先の「大王わさび農場」付近、犀川の河原で打ち上げられるので、光が見えて10秒後には「ドン!」と聞こえる。<音の秒速は340m>を実測しているようであった。

 余談になるが、花火は、亡くなられた方々、とくに不遇の死を遂げた方々の鎮魂行事である。全国一といわれる長岡の花火大会が、8月1日に催されるのは、1486人が犠牲になった「長岡大空襲」の日に因んだものだ。山本五十六元帥の故郷を襲うことにより、米軍は、日本国民の戦争継続への士気を粗相させようとする戦術をとったからといわれている。

 

● 山はそろそろ秋の気配

   7月下旬に標高1500mの白馬五竜高山植物園へ行ってきたが、マツムシソウ、オミナエシ、ワレモコウなど秋の花々が一部で咲き出している。そして、9月末からの紅葉は、高山地域に始まり、次第に里へ下りてくる。白馬・栂池高原のナナカマドは、10月の涸沢にも引けを取らない、息を呑むほど美しい眺めで、そのころになると、平地では秋祭、朝夕はだんだんに寒くなってくる。

 この夏は天候不順のため、山岳遭難も多発した。体力不足、準備不足、知識不足、年齢超過などと嘆かわしい遭難理由ばかりだ。ところで、高山地域でのスマホや携帯電話の通話可能エリアはどうか。「信濃毎日」(8/11)によれば、涸沢一帯の通信環境は、NTTドコモが常念岳(2002年)にアンテナを設置したのを皮切りに、KDDI 2016年の蝶が岳が続き、ソフトバンクも近く涸沢の周辺に設置の計画があるらしい。どこからも通信可能な時代になったが、そのせいか、最近は、横着な者も多く、安易に救助を要請し、「費用が掛かる」と伝えると、「それではいらない」というバカも増えていると聞く。 これまた余談になるが、こちらは山岳展望の話である。針ノ木岳の山小屋には50年前から「槍見荘」と名付けたトイレがあるそうで、そのトイレの換気窓は畳1枚ほど、直線で20km離れた槍ケ岳の遠望がピタリ収まる。知る人ぞ知るであるが、もっと早くに知りたかった。この夏は見える日が少なかったという。

 

● 穂高神社と矢原神明宮、2つの神社と秋祭

 

 穂高神社は、「安曇海神族」の守護神ともいわれ、水、船、水運と関りが深く、1年を通して、穂高町の<本宮>、明神池の<奥宮>、奥穂高岳山頂の<嶺宮などで水への神事がある。高瀬川、穂高川、犀川の合流点での「お水取りの儀」、明神池・奥宮への「お水返しの儀」、それに加えて、本年は初めて、穂高岳山頂(3190m)の嶺宮へ、「明神池からのお水返し」も行われた。(7/27

  

「本宮」の秋祭(9/2627)では、穂高人形を飾った大小5艘もの「御船」(舟形の山車)が激しくぶつかり合う江戸時代からの勇壮な行事が催される。

    そして、秋深い1145日は、境内で、あづみ野の新そばと食の感謝祭も行われ、多くの人々で賑わいを見せる。(穂高神社の祭神は、穂高見神、綿津見神)

 

 もう一つ、自宅から5分の矢原神明宮であるが、こちらは伊勢神宮の末社で格式は高そうだ。秋の例大祭(9/24)には、伊勢神宮から宮司もお越しになる。また、式年遷宮のときには、旧社の木材も配られると聞いた。海神族の神社と伊勢(大和民族)の末社、なんとなく、大和時代の勢力の張合いを示しているような気もするが、決して仲が悪いわけではない。秋祭の順序は、矢原→穂高、

 

舞を奉納する巫女さんは、どうやら穂高神社からの助っ人のようだ。ちなみに、矢原神明宮からお伊勢さんに奉納されるワサビは、大王「山葵御料圃」で栽培されるが、ここでの豊作祈願は、両神社の神職の共同で行われた。(5/7

 

なお、養蚕の安曇野らしく、矢原神明宮には高崎「繭仲買人」の掲額もあり、当地で嫁を貰うときには、その伝手で、岡谷の和服店から衣装を整えるとか。

 

(注)北安曇の大町には、紀元前後に創建され、天照大神を祀って豪壮な社殿を構える「仁科神明宮」がある。こちらは、グル-プに属さず独立を保って続いていると聞く。

   ネットには、安曇郡では諏訪神社系と穂高神社系が勢力を張り合ってきたとある。

 

余談ながら、715日に行われた「天下の奇祭」(南信・宮田村の夏祭)での「あばれ神輿」はもっとすごく、新造した神輿(200kg)を社殿前の階段から持ち上げては突き落とし、たたきつけてバラバラにする。そして、カケラが氏子にとっては1年間の無病息災のお守りになるから、壮絶な分取り合いだ。信濃毎日の報道写真は、20年前の映像と少しも変わらず改めて感動した。

 

 ● 安曇野の「食」

 「信州の発酵食」(小泉武夫・横山タカ子 2016年・しなのき書房)は名著だ。

 日本一長寿の長野県の秘密の一つは、「発酵食、醸すにある」と解説し、味噌、糠、酒粕、醤油、酢、そして「」を使ったレシピを紹介している。麦編の「麹」ではなく、米偏の「」を用いたことも好ましい。(東京麹町も本来は「糀町」)

  著者の横山タカ子さんは、北安曇・大町市出身の郷土料理家である。

  

 ところで、当地のス-パ-では信州らしい品揃えが目立つ。興味深い商品としては、甘露煮のイナゴ、蚕のサナギワカサギクルミなどがいつも陳列されている。最も特徴的なのは、水産物コ-ナ-の「塩イカ」だ。「塩の道」の副産物?である塩イカは、料理として定着し、棚3段分を占領するほどだ。<信州人の愛する“塩イカの酢のもの”>などと称し、作り方のレシピまで添えてある。残念なことに、漁獲状況が悪く、ほとんどがニュ-ジ-ランド産になっている。

  ほかにも、信州のス-パ-では、佐久でハチの子小鮒の甘露煮が常置される。

冷やかし半分でいわれる「ザザムシ」は見かけないが、いつか試みたい。

 

 

● 拾ケ堰 (じっかせぎ) が世界かんがい施設遺産に

 

 安曇野地域1000 ha(旧10ケ村)を潤す全長15kmの拾ケ堰(農業用水)は、1826年(文化13年)の完成ながら、標高570m地点を緩やかに(1/3000勾配)流れる素晴らしい技術水準の疏水で、「日本の疏水100選」にもなっている。

(注)奈良井川に取水して、サイフォンの原理で梓川の下を潜って用水の流れが始まり、

  最終的には、烏川に注ぐ用水である。

 

 拾ケ堰は、昨年11月、「世界かんがい施設遺産」(注)に登録され、このたび、記念式典が安曇野市総合体育館で行われた。(7/28

 

 豊科南小では、保護者や近隣住民と清掃に取り組んできているが、「登録をきっかけに自然を守るために何ができるかみんなで考えよう。さらにきれいになるよう、自分にできることを考えたい」、また、土地改良区理事長は「先人の偉大な遺産を守り伝えるため一層の維持管理に努める」と決意を述べた。

(注)国際かんがい排水委員会(ICID)が、原則100年以上の歴史的価値がある農業用の水利施設を登録するもので、2014年以来、世界の50施設のうち5割以上が日本にある。

  

● 最後に琵琶湖周航の歌

    われは湖(うみ)の子 さすらいの」で始まる「琵琶湖周航の歌」の作詞家小口太郎は、なんと長野県岡谷市の出身であるという。彼は、旧制第三高校に学び、ボ-トもやった。その寮歌として作詞して、戦後にヒットしたのである。  

 これに因んで、いまも諏訪湖でボ-ト大会が行われている。

    514日に開催されたレ-スの終了後には、小口の生誕120年を記念して、みんなで歌っているのを新聞も取り上げているが、琵琶湖の歌を諏訪湖で歌う、なんとなく、しっくりこない感は否めない。                                                                           (H29831記)

 

   センダン 6月     センダンの実(夏)  自宅垣根のテッセン    テッセンの夏姿    井伊直虎 穂高人形

風に吹かれて( H29年盛夏号 :酒酌めば)  

 

梅雨が明けて、戸隠や南信・飯田などでは、夏そばの花が楽しめる季節に

 

なりました。夏そば、花の見頃が7月上中旬、新そばの出回りは8月からです。

 

芭蕉には、「蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな」がありますが、こちらは

 

秋そばで、初秋の風景でしょう。(注)あづみ野の秋そば、花の時期は9月中旬です。

 

 

 

酒酌めば ことに無月の 蕎麦の花  (柿園)

 

安曇野のわが家の近く、懇意にしている蕎麦屋で見かけた句です。高校の

 

先輩(俳人)の解説は、<微醺を帯びて(あるいは酔うほどに)、雲に隠れて

 

見えない無月の薄明かりの下で眺める蕎麦の花は、仄白くかすんで辺り一面に幽玄な情趣が漂うようだ> と素晴らしい。さて、酒は夏しぼりか、冷おろしか?

 

 

そして、五竜白馬高山植物園のアルプス庭園には、「ヒマラヤの青いケシ」や「エ-デルワイス」が、花の時期を迎えて賑わっています。(7/15&16が花祭)

 

 ●政策秘書ってなんだろう

   6月下旬、週刊新潮の報道を皮切りに大騒ぎとなった「豊田真由子議員(衆・自民党・当選2回)による政策秘書へのパワハラ&暴行」は、人格上の問題はもとよりだが、議員と秘書の不平等関係(使用人扱い)、政策秘書制度が当初の意図どおりには運用されず改善の兆しもないことなど相当に根深いものがある。

 

 「政策秘書」とはいいながら、その実態は、公設秘書のうち勤務年数が最も長い秘書に「政策秘書」の肩書・給与を与えることが多く、仕事も、一般的な議員秘書の延長線上にある事例も少なくないとされている。そのために、他の秘書と区別されず、礼状・案内状書き、励ます会の依頼、議員の運転手替わりなど雑用係をやっている。報道を受けて、古手の衆議院議員が、「彼女はかわいそうだ、男の議員はもっとひどい(ケ-スがある?)」といって、後に発言を撤回したのもその実態を表しているとはいえないだろうか。

  

 形ばかり、アメリカ議会のスタッフ制度を真似したこの「政策秘書制度」は、改革の効果を出しておらず、役割・機能を抜本的に見直す時期に来た。

 

【閑話休題】 「政策秘書」は、19941月、細川政権の政治改革によって誕生した制度で、「議員の政策立案と立法活動の補佐をする」(国会法132条②)、いわば「上級スタッフ」として、それまでの公設秘書2人に加えられたもので、①資格試験を受験し合格した者と②公設秘書5年以上の経験+研修を受けた者2つの道がある。給与は国から支給され、年俸総額が1000万円を超えることも多いという。

 

 安倍チルドレンの「魔の2回生」ともいわれるようである。余談にはなるが、「小泉チルドレン」のときにも似たような現象があった。新チルドレンの大量当選を受けて、元総理の森喜朗さんが嘆いていた。「こんなに勝ってしまって、勉強、努力の足らない人たちが入ってくるといつか手ひどいシッペ返を食うんじゃあないか」。残りの2回生には、ぜひとも、そうならないことを願いたい。

 

●おまじない 

 話を始めたり、締めくくったりするときに使われて、<意味のない>または<意味のわからない>おまじないのような言葉がある。NHKのラジオ深夜便で秋田の民話を聞いたが、語り部の<締めくくりのおまじない>は、「とっぴん、ぱらりの、プン」となかなかに簡素でかつおもしろい。ほかにも、民話の終わりを 新潟では「エッチャ・ポン」、遠野では「ドンド・ハレ」と締めくくるとも聞いた。

 

 なお、落語にもおまじないのようなセリフがしばしば登場する。「死神」では、「あばらかべっそん、きゅうりんだい、てけれっつの パッ!」と使われているが、これでは何だかさっぱりわからない。先代の桂文楽は、自分の住所に因んで、「てけれっつの 黒門町!」と変えていた。

 

 そして、母親から子どもへのおまじない、「いたいの、いたいの、飛んでいけ」は、なんとなくいい感じである。いまテレビコマ-シャルで、これを各国の言語で採録しているらしいのが流れているが、本当に世界中にあるのだろうか。

  英語版では“Pain , painGo away !と聞こえて、日本語とまったく同じだ。

 

 

●一方通行もバックで進めば逆走OK?

 信号や交通標識を守れば安全というわけではなく、用心に越したことはない。ある日のこと、紀尾井町付近の一方通行路を一度は大通りに顔を出した後に、何を思ったか、バックで100mほど逆送してくる軽トラックに遭遇した。

 バックで進めば一方通行路の逆走も交通違反にならないかのごときふるまい、

このトンデモない運転手、もう一度教習所へ行って一からやり直せ!

 逆走ではもう一つ、日テレ通りに合流する道には一方通行が多く、当地域に不案内の運転手では、地図に夢中になって標識を見落として進入し、通行者をヒヤリとさせることも起こる。ナビを使っていれば進入の指示はないはずだと思うのだがどうであろうか。このときは、周囲の冷たい視線が印象的だったが、当人はまったく気がついていない。一方通行だからといって安心はできないし、高齢者の「高速道路での逆走」という恐ろしいこともあり、もって瞑すべしか。

 

 余談になるが、テレビで救急車の運転手に取材をした番組を見たことがある。そこで、救急隊員がいうには、「なにが怖いといって、急行する救急車の後を同じスピ-ドで着いてくる車ほど怖いものはない」そうである。救急車の後に続いていけば、確かに楽かもしれないが、まことに困ったものである。

 

 

●クマと警察で強盗を挟み撃ち?

 最近の新聞報道でもっとも傑作だったのは、「3人組の宝石強盗事件」である。

宇都宮市の住宅で住人女性にけがを負わせたうえ、660万円相当の宝石が入った金庫を奪った男3人は、日光市足尾の山中を逃走中にクマに遭遇、県警捜査員20人以上とクマに挟み撃ちをされ「絶体絶命」とあきらめ、身柄を確保された。クマは体長2mを超す大きさだったからさすがに年貢を納めざるを得ない。

 

 警察の反応が「クマに感謝状でもやりたいよ」とは笑わせる。    (H29727記)